そして野球は進化する

2016年、デイリースポーツにより明かされた、野球の危険性は、かの組み体操をはるかに超える恐ろしいものでした。

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そもそも野球は、太平洋戦争末期、飛来する敵爆撃機を撃墜せんがため、帝国陸軍により編み出された最終兵器でした。高度10,000メートルで侵攻するB-29に向け、手榴弾を人力で投擲、或いはバットで打ち上げ、これを殲滅するという、世にも恐ろしい作戦を決行するための訓練が野球だったのです。

しかし、戦争は終わり、平和になった社会でスポーツとして野球は発展してまいりました。

が、時速160キロで射出されるボールをバットで打ち返すこのスポーツは、選手はおろか、マネージャーや観客をも危険に晒すスポーツ。アルプススタンドで応援するチアガールなどに気を取られていると、後頭部をファールボールが直撃、帰らぬ人となってしまう可能性すらあったのです。

これを受けて、文科省は野球のルール改善に取り組みました。

まず、鉄芯が入ってるなどという、およそ殺人のための道具としか思えないようなボールをスポンジ製に変更。これで安全になりましたが、金属製や木製のバットで打ち返すと、ほぼホームランになるので、バットの素材は発泡スチロールに。

こうしてようやく野球は安全なスポーツになったのです。

ただ、当初は、スチロール製のバットは振るだけで折れるため、軽く引きながら当てるだけが精一杯だったので、ホームランなどは無くなり、内野だけで野球をするような状況が続きました。

この状況を打破したのが、花形モータースの御曹司、花形満です。

彼は、100kgの鉄球をスチロールバットで打ち返す練習を積み、ついにホームランを打つことに成功しました。(そのボールを場外から打ち返したのが、九州の大家族、左門豊作ですが、それはまた別の話)

圧縮スチロールバットが開発されるまで、バッターは苦労しましたが、ピッチャーにとっては、スポンジボールは恩恵でした。

なにしろ軽いので、変化しまくるのです。

東京の青雲高校の一年生ピッチャー星飛雄馬くんは、消える魔球を編み出します。スポンジのボールにたっぷり土埃を吸わせ、投球。ボールはホームベース上で埃を発散、埃で見えにくくなったところでさらに縦に変化、見事ボールを消してみせました。

また、ジャイアンツの番場蛮選手は、スポンジボールが変形するところに目を付け、重心を偏らせることによって、分身魔球を生み出しました。

守備の面でも、変化がありました。

スポンジボールはグラブではなく、マジックテープによって捕球されるようになりました。バリバリ。

こうした選手の努力や道具の開発によって、現在の安全な野球があるのです。

あのデイリースポーツの告発記事がなければ、未だに死人が続出するような競技を続けていたかと思うと、おそろしいことです。

(2060年8月3日)